今日も雨。雲が厚い。走り梅雨に。
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ついに、お田植えの日。こちらの農家のみなさんは田植えを呼び捨てにはしない。「お田植え」なのである。農家にとって大事な日。お赤飯を炊いて今日はお田植えですって近所に配ったりする。
朝から、田にでかける。ぬるい泥が太陽に光っている。Nさん、S子さん、Iさん、Mさん、T君、K子さんと私。総勢7名。
お昼は、御馳走。田んぼの側の胡桃の木の下で皆で食べる。お赤飯と豪華なおかずのお弁当。一人前に働いてない私も、お昼ご飯は一人前をちゃんと頂く。
それにしても、S子さんとIさんの働きっぷりは驚異的。私より50以上も年上とは思えない、いや、私もあと50年生きたら、あんな風に炎天下の下の泥の中で丸一日腰をかがめて苗を植え続けられるのだろうか…。朝から夕方までずっと田植えをして、その後は自分の畑の仕事に行ったというIさん…。翌日は朝から太巻きを作りに行くとかで。筋肉痛という言葉はないのだろう。話を聞くと、Iさんの家には冬ストーブがないのだという。動き続けているから冬も寒くないのだという。朝は4時に起きる。座らない。休まない。…。働き続ける。生まれて一度も医者に行ったことがないという。
あと50年生きても、怠け者の私はその境地にまでいくことはできないと思った…。
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私は、丸一日、田の横を流れる水路で育苗箱を洗っていた。古くから使っているという稲の苗を育てるその箱の底に、文字が書いてあったのを見つけた。どきっとした。
貧乏はいや
この箱を洗いながら誰かがふと書いたのか…。冗談?ともいえぬ心情。いつだったか昔に読んだこの辺りの民謡「馬八節」の一節の雰囲気を突然思い出した。
「田の草取りに 頼まれて
行くもいや 行かぬも義理の悪さよ
田の草取らば ねつく取れ
秋作が 当れば銀のかんざし…
器量よく生まれりゃ 人の徳
お村でも 大高持ちに好かれる…」
『日本民謡集』(岩波文庫)馬八節より
秋作とは稲のこと。あたれば銀のかんざし…か。
昔の農村に流れる心情が育苗箱の文字と重なってなんだか胸にしみた。生きるリアルがここにある…。
晴れたお田植えの日。なんだかしみた。そんな一日でした。お昼ご飯もお茶の時間も美味しかった。K子さん、いつもながら御馳走さまでした。
育苗箱の底の文字、見えるかな。田の畦にのびるが生えていた。味噌をつけて食べると美味しい。
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オニグルミかサワグルミか。葉っぱの形からはサワグルミと思われる。
薮のなかの胡桃の木。誰が植えたわけでもなく、どこからか種が落ちてどんどん育った薮のなかの胡桃の木。今は葉っぱが伸び盛り、みるみるうちに葉は大きくなっていく。太陽に透けた緑が眩しい。小径の中にも若い胡桃の木。秋になって実ができたら、動物達の食料になる。そういえば、春のはじめに畑を耕す時に、たくさん胡桃の殻をみつけて、拾ったりした。固い殻を割って芽をだしている実も拾った。半分に割れて殻だけのもあった。
春のはじめ、幹だけがひょろりひょろりとしていた薮の中の胡桃の木は、すっかり立派になってもう今年の実をつける準備をしている。着々と生きている。なあ。
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今日は曇り。昨日の晴れた暑い午後を忘れてしまいそうな、曇り空。午後から雨だというから、乾いた土がちょうどいいタイミングで潤う。スティックセニョールを畑に定植。ひっくり返った苗たちは随分元気になっていた。ひ弱だったミニキャベツとミニカリフラワーの苗も畑で元気に育っていて安心した。不織布をかぶせている苗は更に元気だった。不織布…、温度も湿気も丁度よく、虫も防げるから重宝する。
畑には山鳩のカップルがいる。仲がいい。しっかり愛を育ててるんだね、とやけに羨ましそうに言った私に、彼が苦笑していた。山鳩も雉もウズラも変わらずちゃんとそばにいる。彼らの声が聞こえると安心する。
曇り空の雨を待つ日も、なかなかいいなと思った。
K子さんに烏骨鶏の卵とアローカナの卵をもらった。
桑の実がちょっと赤くなっているのを見つけた。
拾った桐の花を水にさした。
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紫色の筒状の花が畑に散らばっていた。耕したばかりの土の上に散らばる紫の花はとてもきれいで目をひいた。とても控えめな紫色の花。どこから落ちてきた?上をみあげると高く大きな木。調べてみるとそれは桐の木だった。箪笥などに使うあの有名な桐の木だったんだ。葉や幹をよーく見比べて調べると、畑にぽつんぽつんと伸びている小さな木も桐の木だった。
これが、桐の木か、桐の花か。桐の葉か。毎日そばにいたのに、ようやく名前を知った…。発見は楽しい。
落葉高木…材は狂いが少なく、木目が美しく軽いため、下駄やたんすなどに利用される。生長が早く、かつては女子が生まれると桐を植え、結婚する際にその桐で嫁入り道具のたんすをつくった。『樹木図鑑』(池田書店)
初夏の頃、紫色の大型の唇形花を多数円錐花穂状につける。見た目に清楚で芳香があり、また遠く望んだ梢の紫は美しく、筒状の花冠全体が咢から抜けて地に散り敷いたさまもあざやかである。… 桐の花一しなありし木立かな 才麿『根合』…『日本大歳時記』(講談社)
ちゃんと調べたらより一層、畑の桐の木が愛しくなる。桐の花は初夏の季語だという。まさに今日のようなよく晴れた少し暑い日の、澄んだ5月の空にぴったりの桐の花。
田んぼに水が張られ、青い空の下太陽がきらきらと水田に揺れる、そんな初夏の白州に、清楚な紫色の桐の花はとても似合うと思う。
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ミョウガを植えた畑の上に大きな木がある。春の初めは葉も無くなんだかくたびれたような大木だった。絡んだ枯れた蔦をとったりした。何の木だろうねえ、といいながら、春になってみるみる木は元気になって、小さな葉がびっしりと生えて感激した。
そんな大木…、今日ふと見上げると、まだ青い小さな実が木にくっついていた。あれ?これは桑の実ではないか?1年目の農園は発見ばかり、私たちの大好きな桑の実がここにあったのかと嬉しくなった。今年はこの木でジャムがつくれるではないか!と大興奮。
木々が葉をぐんぐん伸ばす。何の木だろうと思っても調べないでいることが多い。しっかり見てそして調べる。これを繰り返すと現実がよりリアルになる気がする。最近、木の勉強を始めた。さっそく買ったばかりの樹木図鑑で調べた。
真桑:人里に生育し、養蚕のために栽培され、またそれらが放置されたものが野生化している。花は4〜5月。葉は蚕のエサとして使われ、果実は甘く生食のほかジャムにする。
山桑:丘陵〜低山の林内に自生する。マグワと同様に葉は養蚕に使われ、果実は甘く食用となる。(『葉っぱ・花・樹皮でわかる樹木図鑑』池田書店)
この辺りは昔養蚕をしていた農家が多かったと聞いたことがある。きっと真桑かな…それにしても大きな桑の木。実が熟するのが楽しみ。農作業の合間のおやつに食べる。今日、木の下のミョウガ畑に鹿の足跡をみつけた。きっと鹿も楽しみにしているのかな。そういえばこの木の下はやけに蟻の巣が多い。蟻も甘い実が落ちるのを知っているのかな。ライバルは多い。今年は私たちも桑の実をわけて頂きます。
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台風も過ぎ去った、風も空も透き通るような晴れた朝、畑にでかける。
驚いた。テント内で育てていた苗の机がひっくり返っていた。せっかく育った苗がぐちゃり。一ヶ月前の強風でテントが飛んで何もかも無くなったときのことを思い出した。とにかく苗たちを救出しなくては。と落ちた苗をポットに植えなおす。が、苗ははやり元気が無い。そりゃ当然だ。
ちょっと早いけど、もう畑に植えることにした。
ミニキャベツとミニカリフラワーのひ弱な苗たちを太陽の降り注ぐ畑に植えていく。頑張れ〜、と声援を送っても野菜には届くのか。うちの畑の野菜たちはスパルタ教育を受けているよう。化学的な薬もやらずに、自らの力で生きろ!って感じの方針は、少しかわいそうですが。水と光とオーガニックな豊かな土に育まれて立派に育ってくれるはず。植えたばかりの小さな苗が大地で風にゆらゆら吹かれている。ちょっと気持ち良さそうだから、これから頑張れるかな。
虫や病気からまもるため、不織布をかぶせておく。虫がつかないように。若い頃には、これは大切です。心配しながらミニキャベツとミニカリフラワーの成長を見守っていこう。
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初夏の嵐。温い雨と風が窓を濡らしていた。低気圧が日本列島を通過するという。気圧の変化のせいか私の頭も心も痛くて重かった。久しぶりに疲れていると感じた。オーバーワークでした。
午後過ぎて、一気に空は晴れ急に空気が爽やかになった。テレビでは中国四川省の地震のニュース。痛み苦しむ人を私はただ見ているだけで時間が過ぎる。その哀しみは何故おこったのか、答えが無い。
人間は自然にはかなわない。絶対に。大地震、台風、噴火、津波、自然の威力の前では人間の力は無に等しい。「人間が自然を守る」などおかしな言葉。謙虚に自然の声を聞くことしかできない。人間が自然に生かされている。人の心をわからない人は自然の声はなかなか聞けない。木も草も土も無口である。その声を聞く、そして生かしあえる知恵を持つ。知恵は心から。
嵐が去った、夜の満月。美しくて息をのんだ。それをわかちあいたくて涙がでた。どうすることもできない美しいもの、人は自然にはかなわない。
夜に部屋でさくらんぼを食べた。初物。もうそんな季節なんだとちょっと酸っぱい小粒のさくらんぼを食べてそう思った。明日は早起きして畑に行こう。
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週末は早朝から深夜まで森の中でうごめいていた。皆でする仕事というのは面白い。強く確かに感じながら時が過ぎていく。自分の眼で見えているものとは関係なく、五月の眩しい光が空中を埋めていた。家の近くにいたのに、なんだか自分が遠いところにきたような気持ちになった。ガラス張りのドームには光がぶつかりながら漂っていた。人の心は変わりやすく求めて動くそれは悲しい。
カフェには庭の花が生けてあった。とても静かに優しく、愛らしい。これを生けたTさんは私の大好きなイラストレーター。彼女に会うと心から嬉しくなる。彼女の眼差しと身のこなし、私はとても好き、そして尊敬している。
現実は面白い。なのに私はフィクションを創る。その意味を知ろうとして、なおさら現実が面白くなった。人が好き。それは届かないことが多い。防御壁がどこにでもあるから。
愛することはよく見ることなくしてできないと思う。だけど見るというのは、とても難しい。見えるというのは本当だろうか。五月の光が爆発的に空中を埋め尽くしている、そんな森に座っていたら何も見えなくなった気がした。どうしましょ。ここから私。
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夕方、餌をあげようと鶏小屋に入る。一斉に駆け寄ってきてやはり可愛い。アローカナは食欲旺盛、足下をうろうろして私の顔をみている。アローカナは春になって暖かくなったからか、よく卵を産んでくれる。烏骨鶏が漸く生んだ卵を抱えている。全く動こうとしないから、動かなくても食べれるように顔の前にエサをおいたが、それでも食べなかった。雛が孵るかなと少し楽しみにしている。
稲の苗もすくすく育っていた。毎日たっぷりの水をあげる。田植えまではハウスのなかで育てる。
昨日までの雨で、雑草がぐんと伸びた。驚くほどに元気がいい。畑の木の芽もすっかり大きくなっていた。ちょっと伸びすぎだけど、香りはしっかり木の芽だった。どんどん草が伸びていく。草刈りをしてもしても、驚いても嘆いても…草はどんどん生えてくるのです。
我が背子に 我が恋ふらくは 夏草の 刈りくれども
生い及くごとし (作者未詳『万葉集』)
どんどん溢れる季節です。何もかもが。
今日は、めずらしく、怖いようなきれいな夕焼けで驚いた。昨日、甲斐駒ケ岳には雪がふったよう。白い山に夕焼けが溶けているようできれいだった。
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午前0時、脚本を仕上げた。真夜中のコンビニに原稿を出しにいく。ちゃんと9日までに着きますか?と幾度も確認して、宅急便で原稿を奈良へ送る。精根尽きたように眠りたい、が軽い興奮状態が続き、なかなか寝付けない。
今回は1ヶ月前から内容を練っていたが、直前で大幅に構成とストーリーを変えた。奈良の伝統野菜「大和野菜」をモチーフに描いたラブストーリーを書いた。とにかく今は書き上げた達成感を味わう。嬉しかったから、スイカを買った。夜中にスイカを食べる。
もっと盛り込みたいことや練り直したいこともいっぱいあったが筆力不足であった。修行あるのみ。頭は次に切り替えて、また6月のコンクールに挑戦しようと気持ちを高める。芽が出なくても、種を蒔かないことには、花も咲かないし実もできない。

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とてもいい天気。今日は畑まで歩いていく。いつもの道も、歩くと発見が何100倍にもなる。道に咲くしろつめ草の花が大きくて驚いた。古い家が並ぶ路地の陰影が美しい。
あちこち田んぼには水が張られている、そんな季節。もうすぐ田植えの時である。この水が張られてから田植えまで未来を感じる静かな田んぼが私は大好きである。
この時期の満月の夜は美しい。鏡のような田に満月が映る。静かな月光がとても眩しくて泣きた